意識

「与えあいの循環」がエネルギーの自然な流れ方だという仮説。

こんにちは、かがりんです。

7/8~8/1は水星逆行といって、何か噛み合わなかったり、スムーズにいかないことが起こりやすい時期みたいです。

みんなはどうでしたか?

僕は水星逆行のパワーを感じまくりでした笑

何か予定外のことが起きてうまく流れていかなかったり、お互いの解釈がズレていてうまく噛み合わなかったり。

(途中からいろんなことを水星逆行のせいにしていました笑)

今思えばそういう「噛み合わなさ」がきっかけとなって、「自分がどういう軸を持って生きるのか」をよく考えた1ヶ月だったなぁと振り返っていて思います。

みんなは意思決定のときに基準になるような「自分の軸」をどのくらい言語化できてるんだろう。

僕はこの1年くらいの間でぼんやりとだけど「これを大事にして生きていきたい」みたいなのが形作られている感覚はあって、でもそれを言葉にはできていないという状態でした。

言葉にすることがそこまで大事だとは思ってなかったんだけど、
「言葉にできない」→「軸がぼんやりしている」→「体現できない」

というような状態だったなぁと今は思います。

まぁ「自分の軸」なんて変化していくものだとは思いますが、「今、自分はこういうことを大事にして生きているんだ」ということを言語化して明確に理解しておくことは、つい目の前のことに反応しがちな僕らにとって、何を選ぶかを選択する手助けになると思います。

 

この1ヶ月、読んでいた本や起こった出来事からとても強く受け取っていたメッセージがあります。

それは、「見返りを求めずに与えること。その与え合いの循環を信じること。」

覚えてる範囲で読んだ本を挙げると、『怖れるなかれ』『僕はお金を使わず生きることにした』『風の谷のナウシカ』『NVC~人と人との関係にいのちを吹き込む法~』『前世療法』。

これら全てから同じメッセージを受け取っていて、「こんなに被る?」とびっくりしていました。笑

与えあいの循環

人間の生活を支えている自然のシステムは、「見返りなく与える」ことでエネルギーが循環して成り立っている。

太陽は光というギフトを与えるのに何も見返りを求めず、植物は日光や雨、土からエネルギーを受け取って実というギフトを贈る。それを動物たちが食べて、そのフンや死骸というギフトを土が受け取る。それを土の中の微生物が受け取り、植物の栄養となる。

こういった「見返りなく与える」というエネルギーの流れの中で生態系は成り立っていて、うちら人間もその生態系に支えられて生きている。(それを今ぶっ壊しながら成長(?)しているんだけど。)

生態系の中で「人間社会」なるものをつくって生きているんだから、生態系のルールである「見返りなく与えるエネルギーの流れ」が人間社会の中でも適用するのは考えてみれば当たり前のことなんですよね。

科学的にとかではないけれど、何事にも当てはまる自然の摂理ってあると思っていて、このエネルギーの流れ方も自然の摂理だと感じています。

「返報性の原理」とか「成功者にはgiverが多い」とかはこの自然の摂理の一部なんじゃないかと思うんですよね。

 

そしてもうひとつ、大事にしたい前提が

「人は本来、与えることを喜ぶ」

というもの。

そんなこんなで「見返りを求めずに与えること。その与え合いの循環を信じること。」を頭では理解しているつもりなんですが、頭で理解しているのと身体で理解しているのとでは全然違う。

テニスの打ち方をいくら頭で理解してもやってみないとわからないのと同じように、初めてのバイトの仕事をいくら言葉で説明されてもやってみないとわからないのと同じように、これも頭で理解していても身体が体験として理解しないと、自分の生き方に染み付かせて、「自分のもの」にするのは難しいと感じています。

ただ、スポーツのようにすぐにフィードバックが返ってくるものでもないので、じわじわと、長い時間をかけてこの道を歩むことで、自分の血肉となっていくんだろうなぁと考えています。

ということで、「見返りなく与える」を練習中です。

 

 

ところで「見返りなく与える」って、何でもかんでも人の欲しいことに答える「いい人」になることではないと思っていて、

むしろ、相手のために「NO」が言える力が必要だと思っています。

それをすることが相手や自分、世界にとって為にならないと感じた時は、はっきりと、思いやりを持って「NO」が言える力強さ。なぜなら、断ることがギフトだから。

さっきちらっと出た「成功者にはgiverが多い」ですが(この「成功」の指標はお金でだけど…)、一番下の層もgiverだそうです。

自己犠牲的なgiverは最下層になり、他者志向的なgiverは成功する。

この観点からも「自己犠牲的に与えるいい人」になることではないと思います。

 

そして、「与える」ということについても、何かをしてあげたり、何か物をあげることだけがギフトではないと思っています。

「丁寧に受け取ること」「受け取ったことを相手に伝えること」もとっても尊いギフトだし、存在自体がギフトになることもある。

 

なかなかディープで奥深い世界ですが、このギフトの世界の探求をしていきたいと思っています。

 

 

PS.

下書きだけして1ヶ月くらいUPできてなかった!

遅くなったけどUPできてよかった!笑