日記

コミュニティとして、どんな姿勢で問題に向き合うか。

はろー。少し前まで大阪に帰省してました、コウヘイです。
馬鹿な遊び方をしていろんなものが崩れた。。。笑
養生します。

ところで今、僕はあるコミュニティに関わっていて、その中で出てきた問題から学ぶものが多かったのでここに書き残しておこうと思って、久々の更新です。

どんなコミュニティにもありがちな問題が出てきた

なんとなく抽象化して表現しますね。

その問題というのは、コミュニティの中で、コミュニティとして以外の活動(主に仕事)に時間が必要で、コミュニティとしての活動(農作業だったり、対話の場だったり、敷地内のデザインを進めることだったり)がなかなかみんな揃わない、というようなものでした。

かがりん
かがりん
こうやって抽象化してみるとほんとにどのコミュニティでもあるような問題だなぁ

僕らはできるだけ、コミュニティの中にルールを作らないようにしているんですが(ルールをつくると「こうあるべき」が生まれて、本当にその時大事にしたいものを大事にするのが難しくなるから、だと僕は思っている)、数少ない決めたものが「5ヶ月間、週5日のコミットメント」でした。

でも、このルールも曖昧なものにしていて、「何時から何時まで」とかも決めていないゆるゆるなものんですよね。

さらに個人毎に事情もあるから、毎日2時間は仕事の時間を取る必要がある人がいたり、週に1日は東京に行く必要がある人がいたり。

それに加えてその時大事にしたいものもあるから、休憩したり、本を読んだり、海にいったり、カフェに行ったり。

全部それぞれにとって大事な時間の過ごし方を選んでいるんだけど、「コミュニティ」という単位で見たときに、コミュニティとして過ごしている時間がとても短くなってしまった!

そういえば「コミットメント」っていうルールあったよね!

という経緯です。

普通ならここで「決めたルールなんだから守れよ!」
という流れにいきがちだと思うんですが(今まで僕が経験したものはだいたいこっちだった)

僕らは幸運にも「このルールってどんな意図があってつくったの?」
と振り返る方向に進むことができました。

「信頼」がすべての問題を解決する源である

話はDOJOを立ち上げたソーヤー海くんのこれまでの流れへと移ります。

海くんはこれまでたくさんのコミュニティに触れたり入ったりする中で、コミュニティにおいて「信頼」が何よりも大事だと感じたんだそう。

フィールドとしては超素敵なパーマカルチャーの楽園だけど、内部の人間関係はグチャグチャグチャ、なんてこともあったんだって。

「信頼」がないとき、何を決めても意味がなくなっちゃうんですよね。

信頼のない相手とは関わる意味もなくなってくるよな~。

問題が起きたときに「信頼」という源がないと、解決じゃなく逃避する方向に進むのは至って自然なこと。

それで人が離れていって、コミュニティが崩壊する、というのがセオリーのような気すらします。

 

逆に信頼関係が強ければ強いほど、どんな問題が起きてもそこに立ち向かい続けられる。

解決策が出ないときもあると思うけれど、そこから逃げるのではなく、向き合い続けて分かち合うというところに豊かさを感じる。

家族の中で長男が入学試験に落ちたときに、その悲しさや悔しさを家族の中で嘆いて、「残念だったね、悔しいね、よく頑張ったね」ってみんなで受け止めるような。

それで「長男が〇〇大学に行きたいのに行けない」という問題は解決しなくても、その奥にある問題が解決したり、和らいだりする。そんなイメージかな。

かがりん
かがりん
NVCはそれを円滑にしてくれるようなものだなぁ。

そしてこの信頼関係を育むために必須なのが「時間」なんですよね。

 

「時間」が「信頼」を強く保ち続ける

その「信頼」を築いていくための資源となるのが「時間」で、だから「コミットメント」なんだよね。

ここまで聞いて、点と点がつながった感覚がありました。

これまでなんとなく他人事だった「コミットメント」が、コミュニティを豊かにするための信頼を育むためのものだったんだって、はっきりと認識することができました。

まだ、「じゃあ具体的にこうしよう!」というような解決策が出たわけではありませんが、

このコミュニティとして問題に向き合うプロセス

がとっても豊かだったのでこのブログに書いてみました。