どうもかがりんです。
現実って、みなさんはどう捉えていますか?
「いやぁ、この現実世界で起きてることのことだろ」
と思う人も多いと思いますが、
僕が捉えている
「あなたの現実」と「わたしの現実」をわける
という考え方を紹介したいと思います。
僕は、こういう風に世界をみるようになってから、すれ違いが減ったり、「何が正しいのか」を主張し合うという世界から距離を置けるようになった感覚があって、肩の力を脱いて生きられるようになった気がしていて、結構おすすめです。
まぁ、現実という言葉に何を意味づけしているかということのような気もしますが、「こういう捉え方もあるんだなぁ」てな具合で読んでもらえたらと思います。
事実と現実を区別する
まず、「現実」という言葉と、「事実」「真実」といった言葉を区別するところがポイントです。
事実や真実は「カメラに映ること」と考えるとわかりやすいと思います。
評価や推測、感情を交えない物理的な現象です。
例えば、
「髪が白い人が眉の間にシワをよせながら、大きな声で何か言っている」みたいなことです。
(髪とか白とか、何かをネーミングすることも厳密には評価なのですが、そこまですると言葉では伝えられなくなるので、わかりやすさのためにこう表現しています)
怒っているとか、部長だとか、頑固そうだとか、怖いとかは評価や感情が含まれています。
これがごっちゃになっていることが多いと思うので、まずはこれを区別することが大切な1歩目です。
そして、現実というのは自分の感情や思考、評価、推測、認識といった「自分の認識している世界」です。
現実はその人の記憶と経験からなるもの
つまり、現実とはその人固有のものなんですよね。
その人がこれまでどんな環境でどんな体験をしてきて、そこにどんな感情を抱いてきたのか。
その量や質感、その人にとってのインパクトの大きさによって脳の回路の発達の仕方は全く違います。
例えば、地下鉄サリン事件を体験した世代の人たちは「宗教=怪しい・危険」という回路が発達している人が多いかもしれません。
この体験をしたAさんが「瞑想」という言葉を聞くと、脳の中で宗教という言葉と繋がり、サリン事件で強化された「宗教=怪しい・危険」という回路が自動で発動します。
その結果怪しい・危険という感情を引き起こす化学物質が脳から放出され、「何それ、怪しいんじゃない?」となるわけです。
でも、そんな記憶はなく、「googleでも集中力UPのためにマインドフルネスが取り入れられてるらしいぜ」という噂を聞いてワクワクしたことのあるBさんが「瞑想」という言葉を聞くと、ワクワクするという、全く違う反応が起きるわけです。
この二人は、「『瞑想』という言葉を聞く」という全く同じ事実を経験していても、全く違う感情、思考、認識を体験しているんです。
「相手の現実」として受け取る
AさんとBさんが同じ場所にいて、同じ出来事を体験しても、そこにはAさんの現実とBさんの現実がある。
なのに、自分の現実を世界の真実かのように相手にも押し付けてしまうとすれ違いが起きます。
「これくらい常識だよ」「あなたは〇〇な人だね」「〇〇するべきでしょ」
という言葉は自分の現実を押し付ける、よく聞く言葉ですね。
ただ、「自分にとっての現実」「相手にとっての現実」「この世界の真実」を区別して見ることができると、
「この人にとっての現実はこうなんだな」
「この人はこう願っているんだな」
という風に捉えることができるようになりました。
以前は、「こうあるべきでしょ」とか言われると「いやいや違うでしょ」と言いたくなっていたのですが、今は「あなたはそう思っているんだね」と受け入れられるようになった感じがします。
以上、僕の現実の捉え方の話でした。
何かの役に立てば嬉しいです。
それでは!